Saturday, September 02, 2006

灯台


灯台。

船乗り達にとっては、色々な意味を持つのではないだろうか。

GPSなど無かった一昔前までは、とても大きな役割を果たしていただろう。

前に読んだ本で、面白い話があった。詳しくは覚えていないが、だいたい以下のようなお話だった。

ある見晴らしの悪い夜、大きな船が大海原を航海していた。
そんな時、みはりの者が、何かの物体を遥か前方に見つけ、船長に報告した。
船長は、無線で連絡を試みた。
そして、相手に進路を変えるように要求した。
すると、相手は、逆に、その船長に、進路を変えるように要求した。
船長は、頭にきて、再度、進路を変えるように強く要求した。
そして...
返ってきた答えは、
「こちらは灯台だ。今すぐ進路を変えるように。」
勿論、船長はすぐに進路を変えた。

相手が動くことのできない「灯台」であることが分かっていれば、勿論、船長も灯台に対して進路を変えろとは言わなかっただろう。

相手が何物なのか分かっていなかったからこそ、灯台に対して、あんな無理なことを要求できたのだ。

相手のことや、物事の真意を知らずに、自分のパラダイム(既定観念)を通して物事を見ることの危険性。

心したい...

************************

みなさん、今日も読んで下さってどうも有難うございます。

ここの所、少し、朝晩涼しくなり、秋の気配を感じるようになってきましたね。

人は誰もが、自分のパラダイムを持っているのだと思います。

そして、そのパラダイムは、誰一人として誰かと同じものであることはありえないのではないでしょうか。

だからこそ、いろんな誤解が生まれたりするのでしょう。

最近特に、色んな本で目にしますが、自分の周りを変えたければ、自分を変えればよいというのは、とても理に適っているのではないでしょうか。

まずは、自分でなんとかできる自分を見直すことから始めればいいのだ、と自分に言い聞かせる私でした...

・・・・・

それではみなさん、よい週末をお過ごし下さい。
明日は、このブログはお休みさせて頂きますが、「空へ」を楽しんでいただけると嬉しいです。

Friday, September 01, 2006

星の誕生


この広い宇宙では、今この瞬間にも様々な出来事が起こっている。

星の誕生もその中の一つだろう。

直接目にすることはできないし、自分の生活には何ら影響がないため、気づいていない。

しかし、今も宇宙のどこかで、新しい星が誕生している。

星は、ガスやちりが集まって誕生するらしい。

「ガス」や「ちり」...

私は星空を見上げるのが大好きだが、星を見る時、「ガス」や「ちり」が集まってできたんだ~とは勿論思ってみていない。

それぞれの星が放つ様々な光に、魅了され、様々な思いが胸をよぎる。

そして、言葉にはできない、心の中がどんどん広がっていく感覚と共に、やすらぎを感じる。

最初は、「ガス」や「ちり」だった星。

その星星が、私に与えてくれるエネルギーは計り知れない。

**********************

みなさん、今日も読んで下さってどうも有難うございます。

みなさんは、星空を見上げることってありますか?

星空を見上げる機会は夏が一番多いかもしれないですが、私は、冬の星空が好きです。

寒さはかなり苦手なのですが、ころころ転がるのではないかと思える程、色々なものを着込んで、その上、毛布をはおって外に出ます。(こんなこと、都会に住んでいたらできないですよね。)

放射冷却が起こるような澄み切った夜、星は一段と輝きを増して見えます。

夏、地面に寝転がって見る星空もいいのですが、寒さの中でピンとはりつめたような空気を感じながら見上げる星空もいいものです。

いずれは、やっぱり田舎に住みたいと思う今日この頃です。

***************************

それでは皆さん、今日も素敵な一日をお過ごし下さい!

Thursday, August 31, 2006

自然体


先日の新聞に、竹中平蔵氏の談話が掲載されていた。

一言でいうと、以下のような内容だった。

「どんな表情をしても、何をやっても、何を言っても批判される。ならば自然体でいくしかない。」

そして、小泉首相は、「権力者を実感する瞬間」を聞かれ、「何をやっても批判されること」と答えたそうだ。

これは何も政治の世界に限られたことではないだろう。

どんな世界にも、様々な人がいて、人の数だけ色々な考え方や感じ方があるのだと思う。

そして、100人中100人の人の賛同を得られることはまず無いのではなかろうか。

それは、やはり、一人一人が違ったレンズを通して物事を捉えるからだと思う。

よく言う、「パラダイム」の違いだ。

ならば、自分の信じる道を歩くしかないのではないか。

・・・・・・・・

*****************

皆さん、今日も遊びに来て下さってどうも有難うございます。

皆さんもそんな経験ないですか?

自分が意図した以外の意味に理解され、寂しく思ったこと。

先日の新聞記事の竹中平蔵氏の談話の中で、笑いを誘う話がありました。

まだ一学者の頃、出張の際、新大阪駅のスタンドでカレーを食べていて、目の前に生卵があり、その一個100円の卵を頼むべきかどうするべきか迷ってじっと考えていた所を、知人の方が見ていたらしく、後日、「ホームでみかけましたよ。難しい顔してましたね。どんな日本経済の複雑なこと考えていたんですか?」とからかわれたそうです。

これが事実かどうかはさておき、こういうことが、実際に起こることは、多々あるのではないでしょうか。

一人一人、視点も違えば、考え方も違います。そして、物事を見る時に、自分の習慣や、自分の考え方、やり方が知らず知らずのうちに反映されてしまっているのではないでしょうか。

こう考えると、やはり、自分の考え方、感じ方に注意を向ける必要があるのではないかと思います。

自分の考え方、感じ方の中に自分を知る手がかりが一杯あるかもしれないですね。

・・・・・・・・・・

それでは皆さん、今日も素敵な一日をお過ごし下さい!

Wednesday, August 30, 2006

竹林


私の田舎の家の裏には、竹林がある。

竹の生命力はすごい。

スピードがある。

筍として掘られなかった「竹の子」は、ぐんぐん成長していく。

空に向かってまっしぐらだ。

まるで、空気を求め、水中から一刻も早く水面上に顔を出したいかのように、わき目もふらず、空だけを目指している。

竹林の中に一歩足を踏み入れると、そこは別世界。

太陽の光の多くがさえぎられ、木漏れ日となってきらめいている。

そんな中で、竹は、一生懸命空を目指している。

一瞬でも早く、光に近づきたいのかもしれない・・・

************************

みなさん、今日も読んで下さってどうも有難うございます。

子供の頃は、竹林はなんとなく、薄暗くて、あまり好きな場所ではありませんでした。

しかも、夏になると、蚊が一杯出るのですが、その原因が竹林だと聞いていたので、なおさらでした。

でも、今は、とても好きな場所の一つです。

竹林の中は、どことなく、外界とは遮断された空間のような気がするのです。

太陽の光が十分に届かず、独特の陰影がかもし出されているからかもしれません。

または、竹の生命力やエネルギーを感じるからなのかもしれません。

皆さんにとっての「竹林」はどんな場所ですか?

・・・・・

それでは皆さん、今日も楽しい一日をお過ごしください!

Tuesday, August 29, 2006

栗II


栗の皮は固い。
ナイフで剥くのはかなり大変。

でも、小さな頃から、栗むぎにだけは自信があった。

秋になると、よく、祖母がおやつとして栗を煮てくれた。
そして、毎日のように、学校から帰って来ると、栗を剥いでは食べていた。

渋皮を取るのも結構面倒だ。

しかし、それでも、栗が「大好き」だったからだろう、一生懸命剥いで食べていた。

人は何か「好き」なもののためには、少々わずらわしいことでもできてしまうのかもしれない。

もし、私が栗を好きでもなく、食べたいとも思わなければ、一つ一つ剥ぐなどという、面倒なことは決してしなかっただろう。

逆に考えれば、やりたくないことでも、それを自分の好きなことに関連付ければ、できてしまうのかもしれない。

記憶力を上げるために、創造力を働かせ、「関連付け」をすることにより、覚える方法があるが、誰でも持っている「創造力」があれば、自分の嫌なことを、好きなことに、ある意味「転化」することができるのかもしれない。

・・・・・

******************************

みなさん、今日も読んで下さってどうも有難うございます。

またまた栗のお話です。

みなさんはどうやって栗を食べますか?

最近の甘栗であれば、既に皮を取り除いた剥き栗もあり、簡単に食べられますよね。

小さい頃のお友達の殆どは、剥ぐのではなく、半分に切って、スプーンで食べると言っていたように記憶しています。

勿論、その方がずっと簡単で、手っ取り早いのですが、私には、どうしてもスプーンで食べると美味しさが半減してしまうような気がしていました。

別に栗の成分や旨みが変るわけではないのですが、何となく違う気がするんです。
食感が違うからでしょうか。

普段、細々としたことをすることをあまり好まない私ですが、「栗剥き」という、どちらかというと面倒な事は何故か苦になりません。

それは、きっと、「美味しい栗が食べたい」、「美味しい栗が食べられる」といった、「栗剥き」という面倒な行為をも越える想いがあるからではないでしょうか。(ただ単に食いしんぼなだけ、とも言えますが...)

皆さんも、自分の好きなこと、やりたいことの為には、普段やりたくないことでも不思議とできてしまうと思われたことはないでしょうか?

・・・・・・・・・

それではみなさん、今日も素敵な一日をお過ごし下さい!

Monday, August 28, 2006


栗は、私の大好物。

田舎の山には栗の木がある。

小さい頃は、祖父に連れられよく栗拾いに行った。

ある日、くりの「いが」の上にしりもちをついた事があった。
くりのいがは、思った以上に痛かった。

それ以来、あまり栗拾いに行くことが好きではなくなった。

くりのいがは、きっと、自分を外敵から守るためのものなのだろう。

魚でも、動物でも、植物でも、針やとげを持つものがある。
自然界を生き抜くために、発達したものなのだろう。

人間の世界でも同じかもしれない。
自分を守るため、自分の弱さを隠すため、時として、「いが」を身にまとうこともあるかもしれない。

しかし、その「いが」は、本当は自分を守っているのでも、外敵に向けられたものでもなく、本当は、自分を少しずつ傷つけている。

栗は、いがの中から取り出すと、つやつやと輝いている。
私達も「いが」を取り除けば、きっともっと輝けるのかもしれない。

・・・・・

*****************************

みなさん、今日も遊びに来て下さってどうも有難うございます。

みなさんは、自分が、ちょっととげとげしくなっていたな~って思うことってないですか?

私は、あります。そんな時、後で後悔しながら、なんでだろ?と考えたりします。

勿論、原因は一つではなく、その時の自分の状態、気分などにより大きく左右されるとは思いますが、理由の一つとして、知らず知らずのうちに自分を守ろうとしていることがあるように思います。

ある意味、自分を正当化しようとしているのかもしれません。

でも、後で考えてみると、結局は意味が無いことに気づいたりします。

そして、相手の方に対する、申し訳なさで一杯になります。

自分をしっかりと持っていさえすれば、自分を守ろうとする必要などないのかもしれませんね。

・・・・・

それでは皆さん、今週も楽しい一週間をお過ごし下さい。
そして、今日も素敵な一日を!